(2013/01/12更新)
こんにちは。^^
つばさ学(まなび)塾代表の速水(はやみず)と申します。
現在の学校教育について・・私に話しをさせてください。
個々、それぞれ、考え方はあります。ですから私の考えに同意できない方もいると思います。
ですが・・私は大手進学塾で講師としてたくさんの生徒に接してきて、今の学校教育がいかに憂慮すべき事であるか、肌で感じてきました。
1977年、学習指導要領の改訂で、『ゆとり教育』が始まりました。
この頃から、緩やかに『ゆとり教育』が始まり、学校が週休2日制になってから、急速に加速したように思います。
私が小学校の高学年の頃のことです。記憶としては不確かですが・・私たちの使用した教科書は、A5版程度の大きさで、本の厚さは5ミリくらいだったと思います。
モノクロで小さな絵は掲載されていましたが、現代のカラーで見開きの半分が写真や絵などということは有り得ませんでした。
小、中学校で、授業数が削減され、その為に学習単元が縮小され、高校で一気に学習しなければならなくなりました。
私が小学6年生の時に、算数で学習した『集合』の単元は、現在は高校で学習しています。
高校で学習させるために、数学となった『集合』は、より複雑に分かりづらくなりました。
小、中学校では、授業数を削減し、学習単元を縮小したため、無理やり間延びした学習をさせています。
分かりづらい考え方、解き方・・『どうしてこんな方法をとるのか』と思うほどです。
また相対評価から、絶対評価に変わりました。
『子供たちの競争心を煽ることは、平等ではない』からです。
確かに善し悪しはあるかもしれません。ですが、社会に出たら、それこそ競争社会ではないでしょうか??
どんな仕事に就こうと、会社員であれ、技術者であれ、手に職を持つ人間であれ、自営であれ・・決して平等ではないと思います。
だからお給料にも、『歩合制』というものがあるのではないでしょうか??
絶対評価になってからは、『もっと良い成績を取れるように頑張ろう』・・こういった思いが薄れているのではないかと思います。
−個々、レベルが違うのだから、その子のレベルで判断してあげましょう−
それは可能性という芽を摘んでしまっている事と思います。
学期末にもらう成績表に、安心していませんか?
絶対評価では他人と比べてないのですから、安心できないこと、ご存知ですか?
『ゆとり教育』で余りにも簡単な授業で、例えば・・小学5年生の国語の授業で、外来語などのひらがなをカタカナに直す勉強をします。私たちの時代では、小学1年生で学習したことです。
成績表の『良い』に〇が付くこと・・疑問を感じませんか?
やっと『ゆとり教育』が問題視され始め、方向転換しつつあります。
国の方針で始まった『ゆとり教育』に、学校の先生、親、子供・・私たちは振り回されてきたのです。
その国が、今度は、一昨年から公立の中高一貫校を作りました。その理由ですが、『リーダーとなれる人材』を育成する為です。
国は『ゆとり教育』という取り返しの付かないことをしながら、手のひらを返す行動をとっています。
これから学校教育は転換期にあります。
国任せではなく、現段階で、子供がどのような状況にあるのか、見極めることは大切と思います。
そして私は・・ひとりでも多くの子供に、手助けをしてあげられたら・・そう思います。
ここに書かせていただいたことは、私が子供たちから聞かせてもらった事、子供たちに接していて感じたことです。
子供たちは主観的に話す事もありますから、私の聞かせてもらったことは、学校教育の一側面でしかありません。
それでも・・学校の授業で習っていない漢字をテストで書いたら、『教えてない』と叱って×にすることなど、何かが違う・・もう少し違った見方が出来るのではないかと思います。
私たちの時代は、出来るなら上のランクの学校を目指したいと思ったと思うのですが・・私はそうでしたが。。
今の子供たちは、『バカな学校で良い。そのほうがらくだから・・』といいます。
成績がアップし、上のランクの学校を目指せるのに、『もういい。合格できた高校があるから・・』といいます。
少子化に伴い、私立の高校、大学も会社経営と一緒ですから、成績関係なく入れる学校がある事も事実です。
今はそれで良いのかもしれません。
でも社会に出たら、否応無しに競争社会です。それは大学生の就職活動から始まっています。
これが良い事なのか悪い事なのか・・判断はできません。
ですが一部の企業では、出身大学で面接日等が違ってきます。
ここに書かせていただいたことは、私の個人的な意見ですので、判断材料ではありませんことをご了承ください。
私は思うのです。
可能性があるのだから、そのつばさを思い切り広げて欲しいと・・。
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